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退 屈 な 人 へ 第14回定期演奏会より 1996.7.7
原稿の締切が近づいてきた,期日が迫ってこないとどうしても取りかかることができない。いつもの悪い癖で,きっと一生つき合っていかなければならないのだろう,間もなく泥縄が待っているというのに。
先回の第13回の定期演奏会ではブラームスの第1交響曲を取り上げた。予想が的中したとでもいうのか,練習から本番に至るまで困難の連続で,とても音楽を楽しんでいただけるような演奏ではなかった。このことは大きな反省材料で,選曲・プログラミングも大変重要なポイントであり,しかも,我々の力量の認識不足が全面に出てしまったと言えなくもない。この曲を演奏したいという欲求だけでは良い演奏が望めないことや,決して認めたくはないのだが,オーケストラには及ぶべくもないバンドの表現能力の限界にも直面したのは事実だ。
今回のプログラムは久しぶりにT部でオリジナル,U部でアレンジ,最後のV部ではポピュラーの3部構成にした。それは,先の言い訳でも述べたように,聴衆のみなさんにもっと楽しんでいただこう。ポピュラーや軽音楽を聴いていただこう。との反省に基づいてのことだ。音楽の充実ということでオーケストラの編曲もの,バンドの表現技術の巧みさで吹奏楽のオリジナル,そして気楽に楽しんでいただけるポピュラー,という訳だ。
T部の第1曲目はアルフレッド・リード作曲”序曲春の猟犬”だ。リードについては先回の定期演奏会で紹介したので,ここでは曲について述べたい。
1980年カナダのオンタリオ州のジョン・フォスター高校バンドの委嘱で作曲され,リード自身の指揮による同高校バンドの演奏で初演された。リードはこの曲で2つの要素「若い快活さ」と「やさしい愛の甘さ」を表現しようとした。
曲は急・暖・急の3つの部分で構成され,急は6/8拍子,暖の部分は4/4拍子で書かれている。また調子は全体をヘ長調が支配し,暖の前半部分で一時的に短3度上の変イ長調に転調している。作曲者の言葉を借りるなら,若い快活さが6/8拍子の「急」の部分で中間部の4/4拍子,即ち「暖」の部分が愛を表現している。
愛の部分はホルンで始まる。当ウインドオーケストラのホルンセクションは充実しているパートの一つではあるが,甘い甘い愛の調べを奏でることができるだろうか,どうぞお楽しみに。
T部の2曲目と3曲目には,今年度の吹奏楽コンクール課題曲”般若”と”はるか,大地へ”を取り上げた。当初の予定では課題曲を立派な演奏で披露することにより,この会場を満席にしようとも考えていた。しかし,時間の都合というか何というか,結局課題曲全5曲中の2曲だけになってしまった。残念というか,やはりと言った方がよいのか。見通しの甘さでは他に引けを取らない我々には,これも宿命と言った方がよいのかもしれない。
ところで”般若”は現在旭川市立啓明小学校に勤務している松浦欣也の曲で,日本の伝統音楽の中でも雅楽の響きをもった純日本感覚の曲である。教職の片手間?に,このような作曲や編曲をするなんて並みの人ではとうていできないだろう。この曲は打楽器をベースに序・祈り・舞の3つの部分で構成されている。作者によると能面の般若のイメージから,怒り・悲しみ・歓喜等の喜怒哀楽を表現したのだそうだ。
課題曲2曲目の”はるか,大地へ”は吹奏楽コンクールの審査員等で,春日井にとっては馴染みの深い上岡洋一の新作である。この曲はオーケストレーションがシンプルで無駄がない。それだけに各奏者の音色と音楽の解釈がものを言う。従って演奏に際しては,きちんとしたアナリーゼと確実な表現力を必要とする。また,曲のいたるところに上岡節が現れ,人間臭さとセンスの良さが光るが,そのような演奏ができるかどうか,ほとんど自信がない。
第T部のフィナーレ”アルメニアンダンス・パート1”は春の猟犬より古く,1972年にイリノイ大学の依頼で作曲され,翌年の1月,同大学の演奏で初演された。アルメニア地方の民謡にオーケストレーションを加え,吹奏楽のオリジナル曲の中でも名曲に数えられている。
私も,もちろんバンドのメンバーも大好きな曲の一つで,過去にも2回ほど演奏している。曲は5つの部分でできており,対位法的な華やかなファンファーレで始まる。フルートやサクソフォーンのメランコリックなメロディーにオブリガードがからみつき,静かに2部に入る。2部ではホルンをはじめとするシンコペーションのリズムに乗って,主として木管楽器で次々に旋律が受け継がれ,変拍子主体の指揮者泣かせである第3部へと切れ目なく続く。3部は5/8拍子,6/8拍子が複雑にからみ合い,打楽器のリズムに乗って一つの大きな山を形成し,変拍子を惜しむように静かに終息する。そして,1拍の四部休符を挟んで第4部へと続く。4部は3/4拍子,弱起で始まる。じっくり歌い込む部分で,オーケストラや指揮者のセンスが問われる1番の見せ場である,といっても過言ではない。スピードと切れの良さが特徴的な第5部はいきなりffの強奏から始まり,次第に盛り上がって一気に曲を締めくくる。
ピアノの魔術師といわれたフランツ・リストの名前を知らない人は少ないだろう。ピアノ独奏曲「ラ・カンパネラ」を含む6曲の「パガニーニ練習曲」や,オーケストラのための19曲の「ハンガリー狂詩曲」はあまりに有名である。あまり知られてはいないが,ベートーベンの9つ交響曲をはじめとする管弦楽曲のピアノ編曲版も数多くあり,ピアノからオーケストラ・宗教音楽に至るまで,その作品は膨大である。またパガニーニ・ベルリオーズ・ワーグナー等の音楽家や女性とのつながりも数多くあり,話題性にも事欠くことはない。
ということで,第U部の1曲目に演奏するのはリスト作曲”交響詩レ・プレリュード”で,テレビのコマーシャルなどでもよく耳にする有名な管弦楽曲である。
プレリュード,即ち前奏曲は,独立した曲として作曲されたものと,組曲やフーガの前に演奏するように作られたもの,とがある。この曲は当初合唱曲の前奏曲にするつもりであったが,最終的にはラマルティーヌの詞章に基づいた,独立した曲として完成された。初演は1854年リスト自身の指揮で行われた。曲は次の4部で構成されている。
1部 春の気分と愛
2部 人生のあらし
3部 愛のやすらぎ,平和な牧歌
4部 戦いと勝利
今回のメインプログラムといえる第U部の最後には,1879年生まれのオットリーノ・レスピーギの有名なローマ3部作から再び”交響詩ローマの松”に挑戦した。レスピーギは父親から音楽の手ほどきを受けてペテルブルグの王立歌劇場のビオラ奏者になった。 その頃「スペイン奇想曲」で有名なリムスキー=コルサコフに大きな影響を受けた。色彩的な管弦楽法を確立した作曲家として有名で,45歳の時の作品である。
第1作のローマの噴水が現実の世界での幻想を扱ったのに対し,第2作目にあたるローマの松は古代ローマに想いを馳せて作曲された。
1,ボルゲーゼ荘の松 17世紀に作られた名園ボルゲーゼ荘の松の下で遊んでいる子 どもたちを描いたもので,目まぐるしく情景が変わり,色彩的に非常に華やかである。 気まぐれな子どもたちのように,急に状況が変わり2部へ入る。
2,カタコンブ付近の松 カタコンブとはキリスト教が迫害を受けていた時代の地下の お墓のことで,その深い奥底から悲しげなコラールが聞こえてくる。それは人目をは ばかって祈り続ける教徒の祈りのようでもある。
3,ジャニコロの松 そよ風が大気をゆする。ジャニコロの丘の松は満月の明るい光の 中でくっきりと浮かび上がってくる。その傍らでナイチンゲールがさえずり始めた, とはレスピーギの言葉である。
センチメンタルなメロディーを奏でるのはソロクラリネットで,限りなく限界に近 いpppは極めて難しい独奏の一つだ。やがてナイチンゲールのさえずりが夜の終わりを 告げ,切れ目なく終曲に入る。
4,アッピア街道の松 アッピア街道の霧深い夜明け,ティンパニの同音連打に乗って
どこからともなく軍隊の足音が聞こえてくる。それは次第に近づき,ラッパのファン ファーレも聞こえてくる。やがて勇ましい行進が姿を現し,曲は大きなクライマック スを迎える。金管楽器・打楽器・オルガンが大活躍し,最後に進軍のメロディーを高 らかに響かせ,古代ローマの栄光をたたえた第4部は華やかに,力強く終わる。
第V部では”インザ・ミラー・ムード・メドレー”,”ラプソディー・イン・ブルー”の2曲を取り上げた。
グレンミラーはビッグバンドの世界で,一つの時代を築いた偉大なアーティストとしてあまりにも有名である。グレン亡き現在でも彼の意志を継いだ楽団が活躍していて,日本での人気も非常に高く私も大好きである。
プログラム最後にはジョージ・ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを選んだ。といってもオーケストラの編曲版ではなく,ピアノ独奏部分をバンドに置き換えた,ちょっと変わったアレンジだ。原曲と同じようにクラリネットのグリッサンドを含んだソロで始まるが,スイングありサンバありのバラエティーに富んだ演出が施してある。
グレンミラーでサウンドの美しさやソロの醍醐味を,ガーシュインで華やかなジャズの迫力で,会場を埋め尽くした皆様の,はちきれんばかりの盛大な拍手を頂戴してアンコールにお応えし,惜しみない拍手の中でコンサートを終える。と,考えたが現実はいかに?
1996,6,14, 桐田正章
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